101 dogs on death
めでたく終了ですー(ぱちぱち👏)
当初から101曲で完結とは決めてたものの、101日連続とは流石に思っていなくて、週1か週2で休んだりとかするかなと思ったんですが、意外とやれるもんですね☺️
所謂、日記的に曲を~って、出来の良し悪し問わない系の甘えた感じと違って、意図したクオリティ(雰囲気とか年代ぽさとか)はキープしなきゃだったんで最初は難しかったんですが、慣れって怖いものですね。1ヶ月越えたくらいでキープする感覚は掴めました。
とはいえ、メインプロジェクトのCRZKNY楽曲とは全然違う音質とか展開にもどかしさもありつつ、そこはdog~作るのと並行して制作してたCRZKNY曲で発散してたりしてました。
60曲辺り、2ヶ月目を超えると、そういうもどかしさや雑念も無くなって、気持ちの切り替えもスムーズに出来るようになってました。
この辺りからは、前半にやっていた音質をわざと当時ぽく悪くさせたりだとかしないでよくなったので、だいぶ楽でした。
代わりに、60番台以降は2000年以降、テクノ聴いてない時期に聴いて影響受けたサウンドをどうテクノに落とし込むかってことに時間を割きました。
とはいっても、2時間くらいで終わらなきゃ(他のことができない)っていうのもあったので、dog~当初の初期衝動感が形を変えて蘇って、結果常に新鮮な気持ちをキープすることができました。
とにかくマンネリな事務仕事にはならないように心掛けてたんで、常に刺激があって、パンク的な初期衝動でテクノを作る、っていうリクリエイトができたなと。
わかってます。
自画自賛です。
終盤は近年の自分の作品のアナザーサイドを作るってことで、何気に一番作るのに苦労しました。
引き続きCRZKNY曲も作ってたんで、現行世界の自曲に影響受けないようにしつつ、並行世界の曲を、結末に設定したDKMV作品群にある程度寄せていく、という、一人で板挟み状態分裂気味に制作してるのを、みなさんご理解いただけますでしょうか?
と、自分で書いたものを読み返してみて、我ながらこんなもん理解できないし、したくもない、という感想しかありませんでした。 きっとみなさんも、何を読まされてるんだとお思いかと思います。
という感じで、 どこの誰の歴史でもなく自分の脳内の妄想の歴史を、自分の曲の焼き直しにならないように意識した結果、普段のCRZKNYでは意図的に避けてきたアンビエントな部分やメロディ感、物語感を取り入れつつ、自分の中のテクノサイドの、あり得たかも知れない[過去の自曲]が作れたかなと思います。
と、誰も興味もねー事をダラダラと。
せめて、自分だけは自分の味方だよ。
ということで自分で自分を褒めてみました☺️
自分を守れるのは自分だけ。
ここは荒野の片田舎。
草木も生えぬヘルシティ・広島。
シットライフ。
テクノを聴きはじめた当初、オールインワンシンセだけで延々と曲を作ってはカセットに録音し続けて、そのあとサンプラーを買い、MTRを手に入れてからはトラック別に録音することを覚えて、やがてパソコンを買い、Liveを手に入れてからは賽の河原に石を積むように延々と音を切り刻んでは積み続け、それをCDーRに曲を焼いて。
そんな過去を思い返したのでノスタルジーな気持ちになると思ったんですが、
2011年にジューク作り始めるまでは、地元の知り合いが数人聴く程度でほぼ誰にも聴かれることないまま、「そんなもん存在しないのと同じじゃん」「そんなことやってなんの意味があるの」と異口同音で近しい人に繰り返し言われ続けても作り続けてたんだなー、っていうのを思い返して、どっちかというと気持ちがとても冷たくなってくのを感じます。
まぁ、今も昔もやってることは全く変わってないんで、どっちかっていうと、なんで延々こんなことをしてるんだろうと自分で自分に若干引いてます。娯楽他にねーのかよ。こえーよ。
とはいえ、音楽に興味を持ったきっかけは間違いなくテクノで、今こうしてテクノ個人史(妄想)を101曲のアルバムって形で完成させたことで、自分の中でのテクノに対しての筋は通せたかなと。
今までもなぜか作り続けてきたんだから、今後も、昨日や一昨日や去年や10年前やその前みたいに、変わり映えしない制作方法で引き続き曲を作っていくんだと思います。
もちろん、俺が作る曲は俺は良いと思ってるから、それを聴いたり買ってくれたりしてくれると、うれしい。もはや褒めなくていいから買え。なんなら聴かなくてもいいから買え。
I WANT YOUR MONEY
I WANT YOUR SOUL
BUY NOW
それでは、また🤗
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